昭和49年07月10日 朝の御理解
御理解 第100節
「目出た目出たの若松様よ、枝も栄える葉も繁ると言うではないか、金光大神は子孫繁盛、家繁盛の道を教えるのぞ。 子孫繁盛・家繁盛ね、家繁盛・子孫繁盛とは言うておられません。」
子孫繁盛を先に言うておられますね、それはどう云う事かと言うと。例えば家はどんなに繁盛致しましても、二代が三代に続いて行かず。繁盛しなかったら子孫繁盛とは言わない。だから子孫が繁盛すると云う事は、どう云う事かと言うと、お徳を受けると云う事。御神徳と云う物は、あの世にも持ってゆけ、この世にも残して置けると言われる、御神徳を残して行くから、子孫がいよいよ繁盛行きますね。
ですから、此のご理解から感じる事、金光大神は子孫繁盛・家繁盛の道を教えるのじゃと仰っておられます。金光大神はいわゆる子孫繁盛の道、言うならばお徳を頂く道だと云う事です。私は昨日からしきりに思うんです、金光様のご信心はですね、行き詰りとか曲がり角とか言った様な事が今教団、金光教全体を通して言われとります。けれどもそれはそれこそ、夏の日の南瓜畑様にバーと広がるもんでは無いと云う事、お徳を受けて行くうちなのだからそのお徳がてんばらやぁすう、頂けると思われません。
言うならば教祖様がこの方は、人が助かる事が出来ればと仰っとられます、この方は人が助かると云う事は、人間が助かると云う事なんだと。人間が助かると云う事はどう言う事でしょう。昨日もある、いわゆるお陰もどれだけあるか解らんと、言われる財産家の方が、ある難儀な問題で参って来られた、息子さんが人一倍体が弱いそれでね、特に変質なんですいわゆる、兎に角まぁ普通の考えでは考えも及ばない様な事で、奥さんと息子さんが参って来た愈々体が悪い。
お婆ちゃんが、お母さんに成る訳ですけれども、兎に角難儀である、結局人間が助かっていないと云う事である。それで昨日此処へ来た、日田の方から見えるその方も一代で身代を築いた、もう大変な大きな事業をやっておられます、その方の家で今度家を新し買ってそこに移転したいと思う、それでまぁ神様にお願いをしてとこう云う事でお参りをされた。の事を私お願いさしてもらよりましたら順序が違う、もっと先に願なきゃならん事がある、私は始めてレントゲンと言う機械がこんなもんだろうと。
私の心の中のレントゲンその方のご主人の、もう所謂生体をレントゲンを通して、目で見てずうと見た姿を頂いたんです。そしてここがこうあるここが悪いと云う事をずうと頂いた、それで私はお宅のご主人の事をね、先に言わなければ命在っての物種だよと、どんなに億万の金を貯めた所で、どんなに立派なお家に移られた所で、是はおかげを受けなければいけないなぁと。そしたらねそれこそあの、顔色を変える様な表情でした、実は最近かれがとてもきつかとったり悪かったりするからと申しますから。
そんなら今日は病院に行って診察を受けられたらどうですかと言うて、主人は病院へ私はこちらの方へ来たと言われる。
だからこりゃね、神様が脅迫しなさるとでも何でもないよ、お知らせを下さると云う事は、助けたいと思うから、ここがこんなに悪いからこう云う信心して、ここを助かってくれと言う事なんだから、しっかり信心さして頂なさいよと言うて、私はこう云う俳句の上の句を作って、あとを夫婦で考えなさいと私は言った。ここのつけ方一つで助かるよといって、書いたやつを持って帰った「秋を生き、秋の心や」と「秋を生き、秋の心や」と話しを聞いて見ると、そう云うふうにもう兎に角それこそ朝日が昇る様な。
する事成す事全てがこんなに順調で良かろうかと、自分で早う夫婦で参って来る時に言っておられました、こげぇ儲かって良かろうかと言われる。それが今度はみんな反対反対、裏目裏目になる、今度何処にかゴロフ場かなんかを買われた、もうそれは本当に大変なんか散財だった、真ん中にチョコットばかり持った畑の人がね、絶対売らんと言うんだそうです、ほんなことさぁとおしなべた人になるまで、金は借った、払うたは真ん中におる人が、私は絶対売らんと言わっしゃる。
まぁそれがだいぶ長い間焦げ付きになっとる、と言った様にです、今まで其れこそ思い通りな事になっていっておったのが、一つつまづきだしたらもう其れこそ秋を感じる様な状態、その上ならご主人の体が思わしく無い、秋の心やと。皆さんならどう言う風にこの下の句をつけられるでしょうか。この句は「せいじ」という俳句の先生が居られた、そのかたの句だそうですこれは大体「秋問えば、秋の心や」と言うんだそうです「秋問えば、秋の心や」かんわにそれを私は「秋を生き、秋の心や」だから。
かわでようなったらおしまい、お取り上げそこでです、いわばここを是から二人でひとつもう合楽参りをさしてもらおうじゃないかと、家の屋移りはもう次にしょうじゃないかと、命あっての物種ぞと、言う様なですここ掛けになって、例えば「秋の心や、神参り」と言った様なね、神もうでになれば、と言った様な風にここが付いてくれば、いわばこの句が生きるのではなくて、お互いが助かって行けるその道が開けてくる。
ですからそう云う例えば、様々な人間の持つ難儀と云う物が、一つ一つお取次ぎを頂いて、おかげを頂いて行くと云う事なんですけれども、人が助かると云う事は、そう云う事ではない、そう言う事なら言うなら、まだ他の仏様でも、神様でも良いと云う事、どうでも良いと云う事。しかしこの方が、教えられる所の道と言うのは、いわゆる子孫繁盛の道なのです、一切が神愛と云う事は、例えば皆さんが信心の徳を受けて、あの世にも持って行かれると同時に、この世にも残して置かれるから。
子孫繁盛に成って来るんです、徳を頂くからこの方の道は徳を受ける以上、御教えの全てが、お徳を受ける事に付いての御教えばかりです。是も金光教全体の者がです、最近言われている自分の頂いておる、一反なら一反と云う十分な実りが出来る事を願え、五反も六反も例えば持っておっても、草をはやかして居る事ではだめだと、なら今の金光教が例えば生き詰っておるとか、曲がり角だとか言う風に云われるけど、現在頂いておる金光教の信者、信奉者が皆んな一つおかげを頂くと云う事ではなくです。
ひそやかな道を開拓する点にならせて頂いたら、そこから金光教のいわば発展が約束される。是は金光教全体の者が目覚めなければいけない、おかげの道ではなくてお徳を頂く道なんだ、金光大神はそういう教えて下さってあるのだ、昨日午後の奉仕をさせて頂いておったら、上野先生がこうして色々とお取次ぎを願い、また最近おかげを頂いた事のお礼を申さして頂いておる中に。
最近三代金光様と言う、厚いご本を御本部から頂いて帰った、あのいさに張りであります、こんな厚い本ですけれども、見事に深いちいいましたが、最近金光様のあの、ご本を開くとが恐ろしゅうなりました云っとる、三代金光様の、いわゆる七十年間に渡られるところの御神訓が、また坦々として書いてある、心して読まなかったら、こんな本とろくなごたある。けれど金光様の御信心、ご修行を私共知っておりますから、そう云う思いで読みますともう、1ページ1ページその金光様のいわゆる。
ご信心ぶりと言う物がです、何と言う素晴らしい生きられ方でお有りになったであろうかと思うので御座います。私もそれを思います。それをその書を最近もうこう開くのが怖いち、先月も二十日の、今久留米とあのう吉井がま、正式な信心ちゃ今まではまぁ好きな者同志の、お茶のみ話的なま会合をなさって居られたのが、いわゆる合楽の親先生においでて頂いて、いわゆると云う事は合楽の先生にどなたか。
お手代わりの方においでて頂いて、そしてあのう他所さんで在ってる様な本当のいわゆる共励会にしたいと言う願いがありました。次の二十日がそれですから、上野先生が当番で行きました、其の時にも其の事を自分に言われた時に、その金光様をちょっと開かせて頂いたらね、丁度六月二十日に甘木の初代が長年修行をしとられるけれども、教師としてのおかげを頂くことをお許しがなかった、そう云うおかげを頂かれてから十年くらい経ってから、一生懸命信心も出来られ修行も出来られるのに。
どんなに修行の規模をもって居るのにお許しを頂かれなかった、そこでたまたま久留米の石橋先生が御本部参拝をすると小倉に言われた、其の時に桂先生が石橋先生に頼んでおられます。石橋さんあんたが今度ご本部参拝したら、三代金光様にお伺いをしてご真意を当たらしてくれないか、安武松太郎のいわゆる身の振り方について、おかげを頂いて来てくれと言うご依頼を受けられた、その事を石橋先生がお取次ぎを願っておられるのに対して、金光様は教えて居られるのは、六月二十日甘木に布教と頂かれた。
もう本当に熊谷さんの所に、元々甘木の初代のご信心を頂かれた方ですから、もうその神様の深いご神意、ご神慮の素晴らしい事にもう感動しながら、こちらにやだして頂いたんです。是も先日丁度小野山神社の小野先生の所からお電話があった、丁度小野先生が奉仕をしておる時でしたから、それを受けますと難産で難儀をしていると云うお届けであった、丁度其の時に読ませて頂いておるのが、しかんで難産で苦しんでお陰を頂いたと云うちょうどそこを読まして頂いておった。
だからお陰になります、お届けさせて頂きますとこう云うてそれから直ぐ安産のお陰を頂いたというてお礼の電話が掛かって来たと。本当にこの金光様のこのご本をもう兎に角有難いもったいないで読ませて頂いたら、次にそう云う働きが私の上に現れてくる、だから全てに恐ろしゅうしてから、こりゃもう滅多な事では開けられないと、云う様なものを感じますと言うてお届けをしておりました。
いわゆる金光様のお徳をなら愛子先生がそう云うお徳できゃっちしたわけです、なら上野先生がそれで誰でんと云う訳にはでけんです。矢張り徳を徳で受ける、力を力でうけると云う事なんです、私は兎に角、金光大神の道は子孫繁盛家繁盛の道を教えると云う事を、子孫繁盛と言う事を、唯、家繁盛ならあすこは金光様を信心してござるからどんどん繁盛しござると、言うかもしれんけれども、いよなったらスタット落ちたって事になったらいかんでしょうもん。
それでやりようが良かったら信心が無かったちゃ大繁盛しょる所がある、昨日お届けさして頂いた様に、お金はどでだけあるかわからんけれどもです、芯になる所の今度二代を継ぐ息子さんが体が弱かったり変質者であったりした事ではね、繁盛にならない。そこでです、私はその方に申しました、息子さんが体が弱い、ちょいとそんな風に変わって御座る、その為に家庭が円満に行かない、そのおかげで、貴方が徳を受けた信心が出来たと言う様な、おかげを頂かれたらどうですかと、言うて話した事でした。
その息子さんのおかげで信心が出来ます、おかげで信心のおかげを、それはお宅の例えば、あれだけの財産が作られるには、随分めぐりを積んで来られた事には違いはないですよ、して見るとお宅の家のね。様が祓い清めをして下さってあるわけですよ、是は絶対そうなんだ、人間の病気と言うけれどもそれは、体のいう なら祓い清めがあっておる事、そこを教祖様が簡単に教えておられるのが、難は御かげと言う、やれ痛やいまみかげをと言う心になれよと仰る。
例えばなら病気をして痛い思いをしても、今のよりも改善を頂いておるんだから、体が清まって行きよるんだからタンを吐いても、小便に行っても大便に行っても、鼻水が出ても、出るものは全部お取り払いを受けておるのだから、便所にいっても、鼻をかむたんびにお礼を申し上げにゃーいけんと私は言う。これは絶対間違いの無い事ですよ、そう言う生き方頂き方から外から移られんです。
本当の事が解っておる、今のうちに難儀な問題事困ったことがある、その家のいうならば祓い清めに神様がかかってござるとですよ、今までは今まではお陰の世界であったが、これからはお徳の世界につながる、言うならば合楽皆さんの家庭にあやらかしてもらう、真善美のいわゆる喜びに浸らして頂ける家にして下さろう。大事な者が亡くなった、それはその家のめぐりをいわば、かろうて持って行ってくださったと、外の先生方は言うておられる、それが事実なんです。
だからその気になって後戻りのない信心させて貰う所から、愈々繁盛ただ繁盛だけではない子孫繁盛と言うおかげに成って来る。教祖様はこの方は人が助かり事さえすればと仰ったその真意の意味と言うのは、人間自体が先ず助からなければならないと言う、人間が助かる事さえ出来れば、人間が助かると云う事はなら病気をしても有難いとお礼が言える人。難儀な問題が起きても、それこそ家のお取り払いを頂いとりますと言うてお礼の言えれる人、そう云う人はですもう助かっておると云う事なんです。
家はどうして難儀な事が続くじゃろうか、私はどうして難儀な病気をするじゃろうかと言う間は、一生懸命お願いするから病気は治るだろうけれども、めぐりのお取り払いにゃならん、お礼を申し上げた時はじめて、めぐりのお取り払いを払いとして生きてくる。秋を生き 秋の心や観音寺では 此の句そのものとしては素晴らしいかも知れないけれども、これでは愈々淋しい事から淋しい事へなって行くと云う事、じゃから本当に秋を感ずる、秋の心を思うとセンチメンタルな淋しい。
そう云う難儀な淋しい悲しい問題をです神成によっておかげを頂いて行こうと言う信心の道と言うけれども、この方の道は信心の道だけではない、人を感じ取る道でなければならない、人は満足と言う事はですお徳を受けて残して持って行くと云う道なんです。皆さん今日一つあのそれこそ、自分の体の上に痛い痛いが例えばあったりしてもです、また昨日取り分け先生方に私もうしました様にです、やっぱり内容に沢山お金があって何不十無いはずの中にです。
人間が助かっていない所にもう地獄も同じの事の様な状態が続いておると言う事はです、悲しい事だと思うんですけど、そこに一度合楽にご神縁頂いて、そのおかげでご神縁を頂きました。そのおかげで信心が出来ます、修行が出来ます、金光大神取次ぎ助けの、子孫繁盛の道を覚えましたと云う事になるお陰を頂いたら良いじゃないかと。がでてもタンが出ても、血が出てもそれこそ、大小便の中にでもそう云うめぐりを一蹴おとり払いくださるから有り難ぁくなってお礼を申し上げなくてはならない。
いまにの内に困ったなぁと云う様な事があったら、困ったなぁと言ったら、その桜井先生じゃないけれども、困ったなぁ、後から有難いと言うたんじゃもうほんな事じゃなかごたる。やっぱりそん時に困った時に、あぁおかげを頂いたと云う時に次のおかげがあると云う様な事を、昨日お届けしておられます。だからその常日頃本気で其の事が、修行が出来ておらなければ中々受けられんのです、よろよろなっとるです、困ったどうしょうか、そがお金が要ると言えない、そう云う頂き方が出来た時に。
私はお徳を頂く道が開けて来る、子孫繁盛、家繁盛が開けて来る。私の時代だけがおかげのいわば繁盛のおかげだけではまらん、子孫繁盛に繋がる様な私はおかげをね。頂いて貰いたい。そしてハッキリとそこには、金光様の道はですお徳を頂く道だと云う事です。そこに、あらゆる宗教の中の宗教と言う事が言えます、真の信心の中の真の信心だと云う事が言えます。目先の先の事ではない、子孫繁盛の道を頂けれる教えて貰える道なんです、金光大神はその事ばかりを、いわば力説しておられる訳で有ります。